エッチビー売りのおやじ


ヘル・アンダーソン作


 寒い冬の日曜日のことでした。
 明日は楽しいクリスマス・イブです。
 にもかかわらず、さびれたホームセンターの園芸コーナーの一角で、黄色い帽子をかぶって植物を超元氣にする天然植物活力液HB−101を売るおやじは索然と呟きました。
 「ああ、どうして誰も買ってくれないのだらう・・・?」
 タバコの煙といりまじり、不景気な溜息がエクトプラズムのように白く宙を漂います。ほのかにビールのにおいをふくんだ口臭が、きたならしく尾を引きました。
 HB−101を売るおやじは維新政党新風の党員なので、お客が寄って来ない理由が自分の態度の悪さに起因しているのだという客観的事実に気がつかないのです。維新政党新風の党員は、一般大衆が働き蟻のように仕事をしているあいだ、持ち前の妙な自信からこれを軽蔑し、ぐうたらな日々を送っています。そのくせ週末になると、こうしてどこからともなく涌いて出て、全国各地の農機店やホームセンターに出向しながら、商人にあるまじき尊大な態度で、いいことずくめの記事で埋め尽くされたHB廣報と6cc入りの試供品を配っているのでした。
 「あっ、これ、知ってるぅ!すごく効くんだってぇ?」
 黄色い声がはじけ、プランターと培養土をワゴンに載せたうら若き婦女子が友好的に近寄ってきました。
 「へへっ、ようこそ。いらっしゃい」
 日頃の高邁な歴史オタクぶりはどこへ行ったのやら、おやじはみっともないキャップの鍔を摘み、黄ばんだ歯並びを卑屈に覗かせます。
 「マンションのベランダでガーデニングやってるのぉ。一度使ってみたいと思っていたの・・・でも、高いのよねえ。サンプルちょうだい」
 相手が単なる冷やかしと知って、おやじはがらりと態度を変えました。
 「ガーデニングってのはね、庭がセットになっている家の主人が庭師を失業させちまう趣味のことを指すんだよ。おおかた芥子でも栽培しているんだろうが“物干し”の分際で、なにがガーデニングだい。さあ、帰った、帰った」
 鼻を鳴らすおやじに冷や水を浴びせられた女の客は、あからさまにムッとして踵を転じました。
 「まったく、最近の日本人は勘違いしてやがる。やんなるよ」
 自分自身の勘違いを棚上げして、我らがのらくら者はタバコをふかし、あらためて嘆きました、
 「ああ、どうして誰も買ってくれないのだらう・・・?」
 如何に正論とはいえ、あんな憎まれ口を叩いていたのでは売れなくて当たり前、といった自己反省は、維新政党新風の党員なので、もちろん皆無です。おれはフツーの人間じゃねえんだぜえ、と言わんばかりに斜に構え、自尊心を確認すると、
 「はい。おとうさん」
 種苗コーナーで小松菜の種を物色していた冴えない百姓に気安く声をかけました。
 「これ、HB。知っているでしょ?試してみなよ」
 日頃は穏やかな人物でも、ひとたびカネが絡むと猜疑心と貪欲の塊となるのがJAの構成員というものです。棚を漁る手を休め、煩そうにおやじを一睨みすると、
 「成分は?」
 「へ?」
 「チッソ、リン酸、カリの比率だよ。野菜が枯れたら、あんた、ちゃんと責任をとってくれるの?」
 まずいことに百姓は農大を出ていました。豊富な農業知識に基づく質問が矢継ぎ早に切り出され、天誅組や水戸学に関しては一巻の書物を著せるほど詳しいおやじでしたが、こと、畑仕事の話になると、付け焼刃程度のマニュアルしか持ち合わせないため、満足に回答することができません。
 「あんたは、勉強不足だね」
 哀れむように言い捨てると、百姓は去っていきました。
 「くっ・・・!」
 迂闊にもリングに上がり、プロレスラーにドロップキックをくらわされた関取の憤懣たるや、こんなものか・・・などとわけのわからない自己弁護を心の中で反芻するおやじは、朝からちっとも減らない商品をぼんやり見つめて、
 「ふっ」
 と、むなしく笑いました。それにつけても寒さが身にしみます。かじかむおやじは運動がてら、丸めたHB廣報を短刀に見立て、人を刺し殺す練習をはじめました。
 「そもそも小泉と竹中がわるいね。次の総選挙で負けたら、新風は一人一殺のテロ集団になってやりゃいいんだ。後でほえ面かくなよ、大衆めっ!ムフッ」
 「ひっ!」
 財布の中から一万八千円を出そうとしていた気の弱そうなおばあさんが無責任で不気味な独り言を聞きとがめ、脱兎の如く逃げていきました。
 「うおっ!待っておくんなせえ。1リットルご購入のお客さまァ」
 老女の存在に遅まきながら気が付いたおやじの叫び声は、空しく木枯らしにかき消されてしまいました。
 「HBさん」
 夕方になり、園芸担当の生意気で鼻持ちならないノンポリ顔の若い主任が冷ややかな眼差しで近寄り、いいました、
 「さっぱり(商品が)減りませんでしたね。昼のカツ丼代はこちらで持ちますから、今日の荷物はすべて持ち帰ってください。ゴクローサン」
 役立たずめ、と言わんばかりの慇懃無礼な口調でした。恐縮しきって守衛所に入店札を返却した愛国者は、
 “この若造め。いつかきっと、おまえなんか必殺の一太刀で斬り殺してやるからな。後悔するなよ・・・” 
 などと内心勇ましくつぶやきながらも愛想笑いを絶やさず、胸を張る主任にひたすらペコペコしながら、後ずさりで道路にまろび出ます。
 折りしもその日は天長節でした。一般参賀後の打ち上げで酔っ払った若いやつがハンドルを握っていたのでしょう。猛スピードで爆走してきた右翼団体の街宣車にはねられて、おやじは頭蓋骨挫傷であっけなく死んでしまいました。



 さて、この物語を読み終えた読者諸子よ。願わくは、この世俗的快楽にあこがれて懲戒されたキリギリスおやじとともに、この書からなんらかの有益なる教訓をば汲みとらんことを。願わくは主人公とともに、まことの幸福は勤労の美徳のうちにしかないことを、また神が地上で迫害されている者を黙認しているのは、やがてもっとも甘美なる報いを天国において調えんがためであることを納得せられんことを。




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